『野球にときめいて ―王貞治、半生を語る』(王貞治/中央公論社)
父親が大の野球好きで、夜は必ずTVで野球を観ていたので、僕も自然と野球ファンになった。必然的に巨人ファン。そして好きになったのは投手で宮田征典、打者では王貞治。宮田投手は1965年の1年だけ光り輝き、リリーフという言葉を僕らに教え、8時半の男というニックネームもついて、それこそ毎晩のようにリリーフに出て来て“落ちる球”で20勝を挙げた。翌年以降、その疲れもあったのか病気等であまり活躍できなかった。一方の王さんは、ずっとずっと活躍し、僕の野球ファン人生は「王貞治にときめいて」と言っても差し支えない。
なのでこれまで出た「王貞治」本は、おそらくすべて購入し、また読んでいる。他の人が王さんについて書いた本も、かなりな数、たぶん殆んど読んでいる。そういう中でも、この本は出色。とくに、子供の頃から現役時代の話が秀逸と感じる。どちらかと言うと監督時代はWBCでの優勝もあったりしたけれど、王さん自身がそれほど楽しんでいないのではないか。王さんにとっての野球は、きっといつまでも「バッター王」なんだと思う。
ずーっと読んでいて思ったのだが、王さんは“引き算の人”なんだと思う。例えば高校時代コントロールが悪い投手だったのが、ノーワインドアップ投法に変えて良くなった。ノーワインドアップとはワインドアップしない、つまり振りかぶらないで投げる方法。ワインドアップから1動作、それも大きな動作を引いた訳である。
次に、有名な1本足打法。苦手のインコースを克服するために、足を上げて下ろした瞬間に打ちにいけるという打法になって、ホームラン王・王貞治が生まれた。通常は2本足で立って打つのだが、1本足で立って打つ。1本引いて打つ打法が、王さんに合っていたのである。
もうひとつ、これは書き方が難しいのだが、王さんは双子の弟として生まれた。王さんは生まれてから医者にお尻を叩かれてやっと産声をあげるほど弱々しく、二卵性双生児の姉の方がずっと元気で、それは2歳過ぎまで続いたそうだ。それが元気だった姉が突然病気で亡くなると、姉の元気をもらったかのように王さんが元気な子になったという。双子が1人になって、2人分生きている、という感覚を王さんを含めた家族みんなが持っていたようである。
さて、僕の草野球の背番号は、去年まで24番。これは宮田投手の背番号である。そして今年ユニフォームが新しくなったのを機会に新しい番号を選び、1番になった。王さんの背番号。それを今回選んだのは、いつかいつかと言っていないで、つけられる時に背負ってみようと思ったからだ。僕の中ではかなりな「エイヤッ!」である。草野球だけれど、王さんの1番に恥じない野球ができればと思う。
(ことしの本棚 第32回 針谷和昌)
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