『ブッダ入門』(中村元/春秋社)
仏教の創始者であるブッダ。ゴータマ・ブッダ、お釈迦様、釈尊とも呼ばれる。ブッダというのは「目覚めた人」という意味だそうで、まさに悟りを開いた人。 ブッダの教えを説いたものアルボムッレ・スマナサーラを始めとして多く出ているが、ブッダ自身のことを書いたものにはあまり出会っていない。
『ブッダ』(手塚治虫/潮ビジュアル文庫)は全12巻のうち3巻まで読んで休憩中(止まっている)が、表紙の絵(矢吹申彦)がどの巻も魅力的。この『ブッダ入門』も表紙の絵(畠中光享)にかなりつられた。『ブッダ入門』を読み終えたあと、以前読んだ『[カラー版]ブッダの旅』(丸山勇/岩波新書)で現地の 様子を写真で確認してみたりした。ついでに以前読んだものの中で、小説としてのブッダやその息子ラーフラを楽しめたのは『肝心の子供』(磯崎憲一郎/河出書房新社)。
『ブッダ入門』はブッダそのものもそうだけれど、周辺の話に気になる部分が多い。
「弗」という字には否定の意味があって「沸」が水でありながら水ではないものという意味になり、「佛」は人間でありながら人間ならざるものになる、とか
人間が無明の夢の中をうとうとまどろんでいるところへ、ぱっと目が覚めるために「警策」でバシッとやる、とか(警策は昨年の国際会議の仕事の中で初めて打たれる体験=一瞬耳がキィ〜ンとなった=したので生々しい)
インドで詩を讃えるときに「まるで牛の鳴き声のようだ」と言う、とか
お坊さんが儀式のときに使う払子(ほっす)は、虫を払うだけで殺さないようにできている、とか
「グラント」というのは「束ねる」が語源に由来して「書物」という意味、とか
インドでは樹にペットにつけるように名前をつける、とか
世界でいちばん大きな樹木がカルカッタの植物園にある、とか
象が戦さの強力な武器だった、とか
ベナレスという地のマハーボーディ・ソサエティという仏教団体が建てたお寺の壁画は、ぜんぶ日本人の野生司香雪(のうずこうせつ)画伯によるもの、とか。
そしてブッダ本人やその教えについても、書いておきたい部分が多く、その一部を以下に。
若さ、健康、生きていること、に対しての「おごり」があり、そのおごりのために、生きているうちになすべきことを怠ってしまうということにブッダは若いう ちに気がつき、それ以上のそれを超えた何ものかを求め、よりよきもの、真の楽しみを見出したい、という考えがブッダの原点にあるということ。
「発心即究竟」心をおこしてつとめ進む、その中に究極の境地、さとりがある。人間が生きている間は必ず何か問題があり、それに直面しながら最善の努力をしつとめはげむ中にさとりがある。発心と修行は一体。
清らかな心で、冷静に、静かに落ち着いて、自分はこうすべきだと決断する。その決断の中に、さとりがある。
この世の出来事のひとつひとつが無数の条件の上に成り立っている。これが因縁の教え。
若いブッダが見出したかった「真の楽しみ」にどこまで近づくことができるか。目の前の忙しさにかまけて大切なことをすぐ忘れてしまうので、仏教の本は定期的に読むべきだと思い、次々に買ってきてしまう。
(ことしの本棚 第17回 針谷和昌)
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