『街場のメディア論』(内田樹/光文社新書)
「ことばのやりとりで興奮して大声を出してしまった」と前回書いたけれど、そうやって興奮した翌日の夕方、普通だったら出たらすぐ買う部類の内田樹の本で あるにもかかわらず、出版されてから半年以上が経過していてその間一度も手に取ったことのなかったこの新書を初めて手に取り中身も確認せずに買ってきて、 読みはじめるとすぐそこに、大声を出さなければ伝えられないと思った自分の考えに近いものを理路整然と語っている部分に出会う。ここには単なる偶然とは片付けられない何かがあると思うのだが、それを追求するのはまたの機会にして、とにかくその部分を抜き出してみる。
よく「ポストが人を作る」と言いますけれど、ほんとうにそうなんです。「ポスト」というのは言い換えれば「他者からの期待」ということです。こういう能 力を持つ人が、こういうクオリティの仕事を完遂してくれたら「ありがたいな」という周囲の人々の期待がポストに就いた人の潜在能力を賦活する。
仕事について考えるときに、ことの順番を間違えてはいけないというのはそのことです。「自分が何をしたいか」「自分には何ができると思っているか」には副次的な意味しかありません。こと生得的才能に関しては、自己評価ほど当てにならないものはありません。
(中略)
天才でさえ勘違いするんですから、われわれ凡人が「ほんとうにしたいこと」や「自分の天職」で勘違いすることはまず不可避である、と。そう申し上げてよろしいかと思います。そんな「内面の声」に耳を傾ける暇があったら、まわりの人からの「これ、やって」というリクエストににこやかに応じたほうがいい。たいていの場合、自分の能力適性についての自己評価よりは、まわりの人の外部評価のほうが正確なんです。「これ、やって」というのは「あなたの例外的な潜在 能力はこの分野で発揮される」という先行判断を含意しています。そういう言葉には素直に従ったほうがよい。
(中略)
…人間の潜在能力は「他者からの懇請」によって効果的に開花するものであり、自己利益を追求するとうまく発動しないということです。平たく言えば、「世のため、人のため」に仕事をするとどんどん才能が開花し、「自分ひとりのため」に仕事をしていると、あまりぱっとしたことは起こらない。
(中略)
…それが「自分のしたいこと」であるかどうか、自分の「適性」に合うことかどうか、そんなことはどうだっていいんです。とにかく「これ、やってくださ い」と懇願されて、他にやってくれそうな人がいないという状況で、「しかたないなあ、私がやるしかないのか」という立場に立ち至ったときに、人間の能力は向上する。ピンポイントで、他ならぬ私が、余人を以ては代え難いものとして、召喚されたという事実が人間を覚醒に導くのです。
宗教の用語ではこれを「召命(しょうめい)」(vocation)と言います。
引用している間に、打つ手にも力がこもり、キーボードがいつも以上の音を立てる。それほど、我が意を得た部分。この本はまた紹介するかもしれないし、今回は“私”的なこのページに、仕事に繋がる“公”的なこの話を、あえて書きたいという衝動を抑えきれずに書いた。この次に紹介することがあれば、また本来の “私”的な話を中心に書いてみたいと思う。
(ことしの本棚 第15回 針谷和昌)
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