本屋で平積みされていた『あたらしい哲学入門 -なぜ人間は八本足か?』(土屋賢二/文藝春秋)が目に入って手に取り購入したのは、『すべてはどのように終わるのか』(クリス・インピー/小野木明恵 訳/早川書房)を読み終わっていて、そこでは得られなかったものが得られるかもしれない、と思ったから。
「死ぬのがこわいからこの本を買った。この本を読んで死の恐怖が少しでも治まるのではないかと思って買った…」と書いた『すべてはどのように終わるのか』を読んでも、死のこわさがなくならず、この本の帯にある「間違っているけど便利な論法 —「生きる意味はない」」などに、それを解消する何かが書かれているのではと思ったからだ。
デビュー作『われ笑う、ゆえにわれあり』(文藝春秋)を読んでから、土屋賢二の語り口は、ある皮肉屋の親友にそっくりだと思って、その後も(すべてではないが)ことあるごとに読み続けている。だいたいどれも“笑い”に繋がるエッセイだったので、御茶の水女子大学(名誉)教授らしい本は、これが初めて。実際の講義をもとにした哲学入門書ということで、マジであり、いつも冗談ばっかり行ってる人がマジになると、これはじっくり聞かねばという気持ちで読んだし、真面目に授業を受けた気にもなった。
…哲学の主張を評価するときには、自分で厳密にじっくり考えてみて100パーセント納得できるかできないか、それだけが判断の基準で す。…
…基準を誤解すると哲学的な問題が発生するんです。…
…永遠に比べればほんの一瞬…一瞬に比べれば永遠…人間の大きさには、宇宙全体と比べれば微小で、素粒子と比べると巨大だ、という二つの側面があります。…
…「知る」と言えるためには、事実があらかじめ存在していなくてはいけません。でも「決める」と言えるためには、事実があらかじめ存在していてはいけないんです。「決める」とは初めて事実を創りだすことだからです。…
…自分で決めること、自分で決めたことは、判断ではないんです。だから根拠に基づく判断とは全然違います。…
できるだけやさしく語ってくれているけれど、できるだけ丁寧に読まないと、納得した気になっても人に説明できないのではないかと思う。哲学は難しいという 印象をずっと持っていたが、やはり頭を使わなければ読み取れない。「結論」の章に、こんなことが書いてある。
…この授業でみなさんに伝えたかったのは、哲学の問題は問題として間違っているという考え方です。ちゃんとした問題だと思えても、よく考えると問題が誤解の上に成り立っていることが分かるはずだという考え方です。その場合の「誤解」は、ことばに関する誤解です。…多くの人が、ことばの誤解を取り除けば哲学の問題は解消する、と考えるようになってきました。…
「ことばの誤解を取り除く」というのがいちばん難しいと思う。今日もことばのやりとりで興奮して大声を出してしまった……。わが愛読書 『怒らないこと』(アルボムッレ・スマナサーラ/サンガ新書)
は何処へいったのか?と自問自答し反省し…….(話が逸れました)さて、最初の話に 戻ると、死のこわさはなくならなかったけれど、生きる喜びを考えさせられる部分があった。それを最後にご紹介しましょう。
「…終わりが来ないと、無意味さが計り知れなくなることがあります。…」
(ことしの本棚 第14回 針谷和昌)
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