ことしの本棚8『内蔵のはたらきと子どものこころ』

『読んでない本について堂々と語る方法』(ピエール・バイヤール/大浦康介 訳/筑摩書房)の<略号一覧>のページに

<未> ぜんぜん読んだことのない本
<流> ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
<聞> 人から聞いたことがある本
<忘> 読んだことはあるが忘れてしまった

という区分が出ているという話を前回書いたけれど、僕の中ではもうひとつ <惚> というのを作った方が良さそうだ。

丸善・丸の内本店へ行って他店でなかなか見つからなかったビジネス関連書を買い、松岡正剛プロデュースの松丸本舗を覗いたら、『内蔵のはたらきと子どものこころ』(三木成夫/築地書館)が表紙を前面に3冊置かれていた。

解剖学の大家・三木成夫の本は、ずいぶん前に『海・呼吸・古代形象 —生命記憶と回想』(うすぶな書院)という本を表紙のデザインに惹かれて買ったのが始まり。その後も他の本を買い続け、おそらく全著書を集めた筈だった。 筈だったのだが『内蔵のはたらきと子どものこころ』を手に取ってパラパラめくってみると、写真も、図も、さらにはところどころの文章も、まったく記憶にな い。ならば、持っていないだろうと確信し、3冊のうちの真ん中の本をとって、レジへ。他の本と一緒に持って帰ってきた。

さて確信はしたけれど、やっぱり少々自信がなかったので、恐る恐る本棚を見てみると……ある…ずらっと並んだ三木本の中の1冊として背表紙を 見せている…。<忘>=読んだことはあるが忘れてしまった本 を超えて、<惚>、ボケと読んで=読んだことも持っていることも忘れてしまった本。今後、こういう本が多くならないことを祈る。

ことしの本棚 第8回 針谷和昌)

追記:同じ本を2冊持つ趣味はないので、どなたかにプレゼントしようと思う。でも「これ、君に読んで欲しいから」と言って『内蔵のはたらきと子どものこころ』というタイトルの本を渡したら、渡された方はどんな顔をするだろうか…

hariya  2011年1月30日|ブログ