ことしの本棚7『読んでない本について堂々と語る方法』

『読んでない本について堂々と語る方法』(ピエール・バイヤール/大浦康介 訳/筑摩書房)

青山にある BOOK246 というちょっと個性的で小さな本屋には、しばらく行ってないのでたまには覗いてみようかと気軽に入るのだが、その瞬間にまんまと術中に嵌ってしまい、気がつくといつも何かしらの本を買っている。

前回は『LIBRARIES(ESSAY BY UMBERTO ECO / SCHIRMER/MOSEL)←[本稿第2回で取りあげた『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』の著者エーコ]の表紙が、バーンと存在感を溢れさせて僕の前に立ちふさがっているような気がして、それなりに高価であるにもかかわらず瞬時の迷いもなく購入してしまった。

今回も見つけた瞬間にニヤッとしたり続けてフフフと心の中で笑ってしまったのがこの本。『読んでない本について堂々と語る方法』というタイトルに一目惚れしてし まった。帯には「欧米で話題沸騰 <未読書コメント術>」とあるし、表紙をめくってみると、<略号一覧>とあって、<未> ぜんぜん読んだことのない本、<流> ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本、<聞> 人から聞いたことがある本、<忘> 読んだことはあるが忘れてしまった本、◎ とても良いと思った、○ 良いと思った、× ダメだと思った、×× ぜんぜんダメだと思った、と書いてある。

このページもたぶんニヤニヤしながら読んでいただろう。とくに <忘> はよくあることだし、△ まぁまぁだった、なんていう中途半端なものがないところも気に入った。そしてこの1ページだけ読んでしまったが、タイトルにある通り、読んでない本について堂々と語って…みようと思う(かなり無謀な挑戦)。

だが、いざ始めようとしても、頭は真っ白で、きっかけというものがない。なぜ読んでいないのに語れるのか?…しかも堂々と……タイトルを読むことで、本の半分は読んでいるに等しい、とか、そんなことが書かれているのだろうか。あるいは、タイトルと佇まいから思わず手に取った本は、自分にそれを受け入れる準備が既にあって、見たいものしか見えないように読みたいことしか読めないから、とでも言うのだろうか。あるいは、こうやって考えていること自体が、既にその本を読んでいることになるのか。

改めて頭の中を整理すると、本を手に取る、そして買う(図書館の場合は借りる)のはなぜか?その本がテーマとしていることを、それまでに考えていたり欲していたから、と考えることができる。それが潜在的になのか顕在化していたかは別として、もともと何かしらの関心を持っていないと、その本には出会えないだろう。少なくとも目に入って来ない。だから、その関心や興味の的を語ることで、読んでない本についても堂々と語ることができるということか…。う〜む、わからないまま残念ながら僕は「堂々と」語れていないので、読んでからまた語ってみたいと思う。しばしお待ちを。

ことしの本棚 第7回 針谷和昌)

hariya  2011年1月28日|ブログ