日々本 其の三百三十「流れ その1」

『流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則』

(エイドリアン・ベジャン& J・ペダー・ゼイン/柴田裕之 訳/紀伊國屋書店)

とある書店で書店員推薦と大きく出ていて、それがその書店に行く度に目に入って、とうとう根負けして買ったような本です。こういう場合、最初で躓くと流し読みしてしまう傾向があります。そこで読んで行きながら、ひとつひとつの章を読み終えた時点で、それぞれ思ったことを書いて行ってみようと思いました。僕としては、新たな試み、です。

よくわからりません。このまま全部読んでもわからずに終わってしまう可能性があります。そういう予感をさせる本の佇まいであり、文章の出だしであったりします。科学の読み物にこういう雰囲気を感じることが何回かありましたが、何となくそれらと似ているところがある。そこに一抹の不安を感じます。つまり読んでも読んでも腑に落ちないまま終わってしまうのではないかという不安です。その不安が払拭されることを願って、読んで行きます。

世界を形作っているのは予測可能なパターンの途切れのない流れ。河川流域、気管支樹、収縮する固体に入ったひび、雪の結晶…。プリゴジンの講演を聞きながら閃いたというが、読んでいるこちらはまだまったく閃きません。この本の、より最初の方で閃くことができれば、この読書はかなり楽しくなるはずですが、このままずっと閃かないこともある訳で…不安は払拭されず逆に膨らみ始めた感じです。

第一章 流れの誕生

そういうものなんだ、ということで無条件で納得していることが、科学の場面にはあります。熱は高い方から低い方へ流れるとか、ものは引力で引き合うとか。それと同じことが、この本に書かれている「コンストラクタル法則」なんだろうなぁ、というところまでは、わかったような気がしました。なぜ?だってそれがルールだから…みたいな話だと思います。そんな枠組みを発見したってことだと思うんですが、たぶん…。

第二章 デザインの誕生

「デザインはパターンとして自然に現れる現象なのだ…」(p92)「軽量であることも含め、効率性は優れたデザインの証だ」(p104)とあります。ふたたび「なぜ?」と問い掛けてしまいます。まさかその答えは「それが自然だから」ではないよね?「自然 」が「物理的法則」でもいいのだけれど、いずれにせよ、「自然なのは自然だから」の様なトートロジーがこの先に出て来ないことを願います。コンストラクタル法則とは何であるのかがまだスバッと出て来ないので、読者としての僕の中には少なからずその懸念が膨らんできます。

「コンストラクタル法則はこうです。自然を見てください。これも、あれも、それも、この法則にのっとっているでしょう?」そう書かれた方が僕は理解しやすいのだけれど、どちらかというとこの本はその逆を行っているようです。理解度は低いのは、相性の問題でしょうか。

第三章 動物の移動

「コンストラクタル法則を使って、走るものの速度と脚を動かす頻度を予測することができる…」「速度はM(の)1/6(乗)に比例し、脚を動かす頻度はM(の)-1/6(乗)に比例する」「運動選手は…体が大きいほど速く進める」「…脚を動かすサイクルと羽ばたきのサイクルにかかる平均的力は、体重の二倍になる…」ということで、少しずつ科学的になって来たように感じます。“科学的”なものには無条件で信頼感が生まれます。この章で期待が一気に高まりました。

第四章 進化を目撃する

どんどんわかりやすくなってきました。第三章からの流れを汲んでの勢いがあります。でもそれは、この章で「スポーツ」が取り上げられているからなのかもしれません。この章は別途、この章だけで取り上げてみたいと思います。俄然面白くなって来ました。

第五章 樹木や森林の背後を見通す

「コンストラクタル法則は…動くものはすべて流動系であることを…明らかにする」「流動系は自由を与えられれば、時がたつにつれてしだいに流れやすくなるように進化する…」「この普遍的な傾向で、私たちが自然界のデザインと呼ぶパターンが説明できる…」「あらゆる流動系が地球規模の流動のタペストリーの中で他の流動系とつながっており、それらに形作られている…」―ということで、徐々にコンストラクタル法則とはどういうものかが説明され始めます。そして一気に核心に迫るような話が続きます。

「科学の歴史は、主観的な分析を客観的な基準で置き換えるための、進化を続ける努力としても読むことができる」(p199) 「植物が水の流れのためのデザインであることは、樹木の存在(大きさ、密度)と降水量との間の地理的相関関係が雄弁に物語っている」(p199) 「ほぼすべての動物がおもに水からできている。動物の質量流動は、地表を水の質量が動いていると考えることができる。河川も稲妻も樹木も動物も、自らの中や自らに沿って流動する流れを処理するために現れるデザインだ。それらは自らのために存在するのでなく、地球規模の流動のために存在している。流動系を個別に眺めることも可能だが、流動系は周りを流れるものすべてと協働し、地球上のあらゆるものの動きを良くするように進化する」(p201) 「勝者と敗者という考え方は、進化が時間的な方向性を持たないゼロサムゲームであったなら、道理にかなっているかもしれない。だが、流れは全体のために流れやすさを増すように形を変えるのだから、全体が勝者となる」(p222)

第六章 階層制が支配力を揮う理由

「社会制度とはそれが地表で体現する流れの流動性を高めるために現れて進化する自然のデザインである…じつは社会の構造と歴史は、河川の流域や三角州、乱流、血管、動物の運動、呼吸、樹枝状凝固など、自然界の他の複雑な流動構造の進化とあまり変わらない…地理学や人口統計学、情報工学、統治機関、経済学で現れるじつにさまざまな『パターン生成』現象を予測することが初めて可能になる」―コンストラクタル法則は、自然だけでなくこれらにも当てはまるという画期的な話です。ここが肝なんだなと思います。 ※つづく

日々本 第330回 針谷和昌)

hariya  2014年2月27日|ブログ