日々本 其の三百十三「みいで づ」

facebook で友人とやりとりしていたら「そちらのを教えてくれてみいですけど」と打ち間違えた。「そちらのをおしえてくれてもいいですけれど」と打ちたかったので、続けて「みいで は間違いで もいいです」でしたと打ったつもりが、またまた間違って「みいで 間違い もいいで づ」。

「いゃ~間違えばかりでいかん」と謝ったら「方言です。針谷弁」と返ってきた。それでしばらく「づ」と「みいで」を使ったオリジナル方言でやりとり。例えば「教えてくれたみいで 嬉しいづ」とか (教えてくれたみたいで嬉しいです の意)。

そんなことをやって遊んでいた次の日、電車の中で夢中になって『海軍主計大尉小泉新吉』(小泉信三/文春文庫)を読んでいたら、何と「ず と づ と誤ったり」という文章が出て来た(p73)。しかも ず にも づ にも傍点つき。

本を読んでいる最中に「虫」という字が出て来たと思ったらそこに小さな虫がとまる。予想だにしない「鎌倉」という字が出て来た時には鎌倉へ向かって電車に乗っていた。そんな経験があったり、つい2~3日前ぐらいに、「クシャミ」という言葉を読んだすぐあとに、隣のひとがクシャミをした。

偶然がたくさん。本の中の文字は多いから、そのひとつひとつに何か起きる可能性があり、そう考えれば読めば読むほど偶然にぶち当たる可能性は高まる。そういうふうに考えることもできるけれど、偶然に遭遇した瞬間、自分と世界の一致を感じる。大袈裟に言えば、生きている自分の価値の、ヒントが浮き上がってきたような気になる。なんだかまだまだ、遭遇しそう。

日々本 第313回 針谷和昌)

hariya  2013年11月27日|ブログ