『評価と贈与の経済学』(岡田斗司夫FREEex 内田樹/徳間ポケット)
『日本の文脈』(内田樹 中沢新一/角川書店)
両方ほぼ同時に読み終えた。前者は電車の中で、後者は朝の個室の中で。前者は13年2月、後者は12年1月の第一刷。つまり後者は“積ん読”状態が長かったということである。両方とも内田樹の対談なので、途中でどっちを読んでいるのかわからなくなることが何回かあった。この本の最後についている筈のさっき書いてあった「あとがき」がない、いやそれはもう1冊の本の方だった…なんていう錯覚である。
岡田斗司夫も中沢新一も個性的な人物なのだけれど、どちらの本でも内田節が冴えているように感じて、僕の中では「内田樹の対談本」という括りになってしまう。文章を書いていて何処へ話が行くか自分でもわからないという内田樹が、同じ様に個性的な人と対談すれば、さらに話がどこへ行くかわからなくなるから、つまり“予定調和”にはほど遠くなって、それが高じれば高じるほど面白い対談になる。間違いなく内田樹は対談の名手である。その時その時で勝負している感じがする。
『評価と贈与の経済学』は岡田斗司夫の若者論が鋭い。「…共通のテキストっていうのが成立していない…おなじ興味関心を持つ人とだけつながる…リアルな人間関係に共通の度量衡がなくなってきている…教養っていうものが成立しない…」。対する内田樹。「元ネタがあると言われると不機嫌になるのは、「感動している」と言っている本人が「自分はほんとうに感動しているんだろうか」「ほんとうにこんなことに感動していいんだろうか」という不安にとらえられているからじゃないですかね。そこを衝かれると、不機嫌になる」。
さらに岡田斗司夫。「…自分と相容れない人はみんなで炎上させたり叩いたりすることで、自分の気持ちっていうのを長持ちさせる。なぜかというと、自分の気持ちっていうのは滅多に起動しないので、起動したらすごく貴重だから。これこそが生きてる証しだとするんですね…壁に当たると気持ちのほうが減るんですよ。壁に対して怒ったりするというよりも、最終的には「もういいんです」って。その気持ちがなくなりました、と」。
もうすっかり定着した「感動をありがとう」という言葉。そういう言葉に影響されつつも、このマスメディアが使うとても変な言葉への違和感を、若い人たちはきっと感じているのではないか。「いま、若い男子がいちばん嫌なことっていうのは、誰かにいいように利用されるっていうことなんですよ…欲望を持ったら、誰かにいいように利用されることがみんなわかっている。「オレたちを資本主義社会に参加させて、結局おまえは儲けようっていうんだろ」っていうようなスタンスです。つまり頭がいいんですよね」と岡田斗司夫が語る。
引用しているとキリがないので、最後にもうひとつだけ。内田樹が言い切るところ。「…「…あなたがたは日本近代史上例外的に不幸な人たちなんです」って言説自体が嘘なんだよ。明治以来だいたいいつも若者たちの前に拡がる未来はどうなるかわからなくて、いつも不安定なんだよね…いましている努力に対して未来の報酬が約束された時代なんて、これまでだってなかったんだよ…」。自分もメディアの言説に影響を受けて勘違いしているということがよくわかる。
(日々本 第214回 針谷和昌)
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