日々本 其の二百「ゲーム」

その昔、もう25年ぐらい前のこと。友人が会社をつくるというので会議があり、その友人と知り合うきっかけをつくってくれた諸先輩方もたくさん集まって、さて新しい会社の名前はどうするか?ということになり、皆で候補を出し合うことになった。僕はちょうどその頃、仕事はゲームのようなものだ、と思っていたので、「ゲーム」という提案をしてみたら、諸先輩方に賛同を得て、張本人の友人も気に入ってくれて、その名前が採用された。実際のゲームとはまったく関係のない仕事をする会社だったけれど、その名前のまま順調な歩みを続け、友人の現役引退で昨年幕を閉じた。

思えばこれがネーミングの最初だったかもしれない。その後、会社名、団体名など幾つかネーミングしたけれど、短い名前が多い。キュー、トノ、バッズ、フォヴァ、ビア、ウック、スカイ…。ほぼ2~3文字、無意識にこの時の経験をもとにしているのかもしれない。そんな訳で、『人生はゲームです』というタイトルを本屋で見た瞬間、同時に著者名のスマナサーラも目に入っていて、これは買うべき本だということになった。

スマナサーラは『怒らないこと』(サンガ新書)がベストセラーになったスリランカの高僧。『怒らないこと』は最近の本だけれど、この『人生はゲームです』は16年前に初版が出ていて、スマナサーラの初期の本。ということで、その後の著書に含まれている内容が、何というか原語のままで書かれているような本である。書くべきことを少しもひねらずに書いている。そういう意味で、こちらにグッと入ってくる部分が多い。その中から忘れないようにと抜き出したのが以下。これらのことを本当に納得していれば、怖いもの知らずだなと思いながら書き写した。いつでも読んで思い出すことができるように、パソコンのデスクトップにも、プリントアウトしていつも座る椅子の横にも、置いておくことにする。

『人生はゲームです ブッダが教える幸せの設計図』(アルボムッレ・スマナサ―ラ/大法輪閣)

……ただ餌を探しているだけ……

……仕事をするということは、お金をもらうためにしている……

……生きているということは、失敗するということ……

……トラブルを起こすことが生きていること……

……生きていることの結果は、退屈でつまらなかったり、あるいは大変なことになるかのいずれか……

……なぜなら、私たちはいつもすごい不安に侵されているから……

……人間というものは徹底的に頑張らなければ生きてはいけない……

……ある日もし上司が自分のことを褒めてくれたとしたら、それだけは覚えている……

……頑張るということに何か深い意味があるでしょうか……

……私たちが生きるということは、どうにかして死を少し延ばしてしまうこと……

……死ぬのは嫌だと考える人がいるならば、その人ほど頭の悪い人はいません……

……すべてが死ぬことを少し先に延ばすための仕掛け……

……人生はゲームなのですから、楽しんでそのときそのときにベストを尽くしたほうがいい……

……「死」ということをポジティブに見たほうがいい……

……どうすればその不安をなくせるのでしょうか。不安は「死」ということから出てきます。ですから、どうせ死ぬのだからと思って覚悟することです……

……私たちにはいつでも、「もっとやりたい、もっと生きていたい」というエネルギーがある……

……もし自分が苦しみであるということ、人生は空しいものであることを、正しく、ありのままに観て実感し、理解するならば、そこには自由な道がある……

……そのことを十分に理解できた人は、そこに解脱の扉、そして鍵があります……

……「人生は悩みであり苦しみだ」と理解した人は、すぐにそれを解決する方向へいく……

……才能がないからやりたくなり、そのあこがれたものになりたいと思うようになる……

……どんな状態でいても、その背後には大きな不安という恐ろしい鬼がついている……

……その鬼を追い払うことはできない……

……未体験であり、想像もできない「死」であるにもかかわらず……私たちにとっていちばん大きな不安は……必ず死ぬということ……

……すべてのものは変化して消えていく……

……希望があるために苦しみは生まれる……

……希望というのはなかなか思いどおりには実現しない……

……おそらく一パーセントに満たない……

……仏教を……なぜ信じていないのでしょうか……幸福論を肉体やら物質中心に考えているから……

……その幸福というのは、いつでもプラスとマイナスが絡み合っています……

……ほんとうの幸福感というのは……「落ち着き」ということから味わえるもの……

……「無常を知る」ということは、「幸福を創ること」……

……幸福であろうが不幸であろうが、いつも冷静な心で、落ち着いた心で生きていられることが、無常を知っている人の、つまり真の幸福ということ……

……私たちには一つのプログラムがあります。それは、「一度生まれたのだから死にたくない」ということ……

……私たちの人生の目的でたった一つ分かっていることは、死にたくないという目的……

……人生は……ゲームですから当然失敗もしますし、成功もすると考えるべき……

……「安定したい」という、いつ爆発するかも分からない時限爆弾を飲み込んでいるようなもの……

……不幸のもとは「安心したい、安心したい」と思うこと……

……いっさいは不安定であり、何ひとつ固定され、安定しているものはない……

……すべてはすぐに変化する……

……結局人間というのは安定を求めていると言いながらも、実は苦痛を求めている……

……実は不安定こそ生き甲斐……

……「不安定でいい」と思ったほうが楽になります……

……ガンになったことに理屈はありません。ただ、「いま」に合せることで完璧にリラックスでき、幸福でいられる……

……刺激を求めていくこと自体を「生きていること」と言う……

……たくさんの本……ただ心を刺激するために読んでいるだけ……

……私たちが美しいものを見たり、音楽を聴いたり、おいしいものを味わったり、体を楽しませたりするのは、死なないため……

……人は死んでも心のエネルギーは休むことなく続いてゆく……それが輪廻のメカニズム……

……いまやらなくてはいけないことを徹底的にやり、いまの瞬間を正しく生きなさい……

……不満、苦しみ、不完全……存在は不完全で不満なものである……

……人生をラクにしたいのであれば……納得すること……

……探し求めることがなくなることにより、新しい次元の幸福が生まれてくる……

……すべてのものは二面性を持っている……

……それほど考えるのが好きならば、どうせ考えるのなら正しく考えなさい。気持のいいことを考えなさい……

……欲の気持ちをできるかぎりカットして、人を助けてあげる方向へと考えを改めてみるべき……

……小さなことで他人と自分を比較して競争している……

……それをやめてみよう。やめて慈しみの心ですべてを考えましょう……

……果物にはりんごとかみかん、バナナという名前がありますが、果物という名前のものがあるわけではありません。それと同様のことが心にも言える……

……心とは、認識そのものである……

……身体機能のすべての働きは心が司っている……

……心の働きは……人間の過去の施行や体験、それから身体の環境や状態という二つの条件によってその自由性を制御されている……

……文句ばかり言いたがる人……人一倍自分のことを気にする人も、暗い思考を好む部類……怒ることは簡単ですが、慈愛を与えることは難しい……

……嫉妬は簡単で、人の幸福を喜ぶのは難しい……

……許す気持ちになるのは大変難しく……怒りを発し、復讐心を抱くことは簡単……

……混乱状態に陥るのは簡単なのですが、冷静に落ちついて問題の解決の糸口を発見するのは大変困難……

……他人の反応と理解はその人の勝手であり自由ですから、そういうことに煩わされない……

……他人を許し、自分もまた許す……

……自分が他人にしてほしいと願うことがあるなら、まず自分が同じことを他人に対してしてあげる……

……感情の中でもっとも安全かつ完全なる心、感情は「慈悲」、つまり慈しみの思い……

……人の幸せを願ってあげることがいちばん……

……心を疲れさせることは、もっとも避けなければならないこと……

日々本 第200回 針谷和昌)

hariya  2013年2月20日|ブログ