今日は誕生日です。もはや誕生日が来ない方がいいなと思う歳になりましたが、facebookへのコメントをたくさん頂くと、1年に1回こうやっていろいろな人とコンタクトをとる機会があるのも良いなと感じますし(そんなふうになったのは去年からですけれど)、誕生日が正月に比較的近いので、そろそろ年賀状が要らなくなってくるかななんて思っています。
誕生日にももちろん本を読んでいます。歳をとるにつれてどんどん本を読むスピードが加速しています。最初は小学校の先生から、いつまでにこれだけの本を読んでください、と課題が出たのが本を読むきっかけだったと思います。それ以来約半世紀。あらためて本をなぜ読むのだろう?と考えていくと、「本を読む方が本を読んでいない時より楽」だからなんじゃないか、という考えに至りました。
文字や文章がなくて何かを考えている時、つまり傍目にはボーッとしているように見える時、頭の中にはいろいろな言葉やイメージが渦巻いていると思うのですが、どうもちゃんとした形になっていない気がします。何かの形にするには無理矢理頭の中で言葉や文章にしてみたりする。そうしないでそのままにしておくと、漠然とした気分みたいなものまでしか到達せずに、考えとしてまとまらないように思います。
それと比べて文章を読んでいる間は、頭がとても整理された気になります。読んでいる内容が難しくてわからない場合でも、わからないということがわかります。文字も何もなくて頭の中だけで考えている時は、大抵「わからない」状態で終わってしまうような気がします。つまり「読む」ということが「考える」ことを促進して、何も文字や文章がない時に比べて頭を使うことをとても「楽」にしてくれているのではないかと思うんです。
さらに読んでいて何を考えるかというと、書いてあることから影響は受けますが「心に入ってくることは自分が読みたかったこと」なんだということに最近気がつきました。同じ文章を読んでも、読む時の自分の心の持ち方で感じる部分、読み取れる部分が違ってきます。それはきっと「自分が読みたいように読んでいる」からで、書かれている文章を読みながら、自分の考えを整理して「自分の考えたいことを読んでいる」と言ってもいいような気がします。
本を媒介としての自分との対話。だからいくら本を読んでも、読書が止まらない。そういう意味では、それがリアルな本か、電子書籍かはあまり大きな問題ではないのではないでしょうか。
(日々本 第198回 針谷和昌)
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