『本の透視図 その過去と未来』(菅原孝雄/図書刊行会)
レコードがCDになってレコード屋がなくなったように、本が電子書籍になって本屋がなくなってしまう、この本を読み始めて、それを段々と確信していく自分がいる。いや、本はなくならない、という人もいるが、徐々に数が減り、貴重品=豪華本として残って行く姿が見える。
「紙の本は消えるか」という「はじめに」で始まり、「第1部 紙と活字の本―その始まりと世紀ごとの変遷」「前景のグーテンベルグ」「最初の出版人アルドゥス」「ポリフィルスの夢絵本」「ボッカッチョの風刺短編」「ジャーナリズムの元祖」「アレッティーノのおしゃべり」「セルバンテスと本の功罪」「ポルノグラフィと裁判」「ディドロの百科事典」「心の闇と恐怖・怪異譚」「詩人マラルメと究極の本」と続き、「第2部 電脳空間の本―コンピュータの中の本の登場」「未来の本と変化への予感」「本の消滅とSFの予言」「本の代理人コンピュータ」「コンピュータと小型の本」「紙を超える本への挑戦」「仮想空間のテキスト誕生」「マルチメディアという本」「知の拡大と情報の記録」「ビデオゲームという本」「仮想と人工現実の限界」「現在までの電子ブック」そして最後は「おわりに―紙の本が消えるまえに」で終わる。
途中、紹介されているウンベルト・エーコの言葉が印象的。「書物は内容とその容れ物であるだけでなく、そこを出発点としてすべてを見、語り、決定することさえできる《広角》の役割を果たしてきました。書物は目的地であると同時に出発点であり、世界の眺めであり、世界の終わり」。
そして電子書籍の究極の姿を描く1940年生まれの著者の驚異的な想像力。
「エレクトロニクスを応用した電子ブックは、最終的には紙もディスプレーもない三次元立体映像のホログラフィになるか、全身を横たえるクラインの壷型体感装置になるか、脳に半導体チップを埋め込む脳型電子ブックになるか。あなたはそこまでICと機械に支配されたデジタル読書を期待しているのだろうか。とすれば、エレクトロニクスが拡大する本の機能は、基本的に読書という行為とはそぐわぬものであり、単純な装置の紙の本が本質的に持っている無限の可能性、読書する人にもたらす豊穣な世界をあっさり捨ててしまうことになるだけであろう」
「本」とは何なのか?それは未来も必要とされるのか?一度“本の宇宙会議”((社)本の宇宙の打合せ)で、とことん話し合ってみたい。
(日々本 第182回 針谷和昌)
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