ふらふらと買ってしまう本がある。ふらふらと、というとちょっと語弊があるのだけれど、何となく好いと思って…という感じである。例えば、この本。
『歴史を考えるヒント』(網野善彦/新潮文庫)
パッと開いて目次を見たら“「日本」という国名”という章や、“日本国の範囲”という小見出しが目に入ってきた。気になるところが数ヶ所あれば、その本はだいたい買ってみる。
家でとっている新聞が3紙あるけれど、クリッピングしながら気がついた。どの新聞名にも「日」が付いている。それで考えてみたけれど、日米、日仏、日中、日韓という国対国の話題や来日、離日など、「日」という字はふだんからとくに国際政治関係の話題で目にする機会が多い。それと比べて「本」にはあまり意識がいかない。「日本」という国名2字の片方は「本」であると気がついて、このブログも「日々本」にした。
…日本という国の名前が決まったのは何世紀か…正解の七世紀…浄御原令(きよみはらりょう)という法令が施行された六八九年とされています…(P13,15)
…当時のヤマトの支配層が、中国大陸の隋・唐の律令を受け入れて本格的な国家を造り上げることに全力を注ぎ、その上で唐、中国大陸の帝国を強く意識して定めた国名であることは間違いありません。従って、一部の人の決めた国名である以上、人の意志で変えられる、つまりわれわれ日本人の意志で変えることもできるのです。…(P18)
…日本国は、その「国」の上に更に広域的な支配のために、「道」という行政単位を作りました。都を中心とした五箇国(最初は四箇国)が畿内、その東は東海道、東山道、北陸道、にしは山陰道、山陽道、南海道、そして九州は西海道の七道が設定され、五畿七道といわれました。…(P29)
名前というのは非常に大事なものだけれど、国名を変えることなど想像もつかなかった。どちらかと言うと、国名に関しては「変わらない」ことの方が幸せなように思える。「変える」という意識が大きくなった時の日本を想像すると、何か特別なことが起きているのではと、ちょっと恐ろしい。
「非人」や「河原人」についての考察が出てくる(VII 被差別民の呼称)。僕が「非人」というものを知ったのは、子どもの頃読んだ『カムイ伝』(白土三平)が最初。伯母さんが「自分の家にはちゃんと保管しておく場所がないので代わりにとっておいて」と僕のところに毎月持ってきた『ガロ』(青林道)に、主力漫画として連載されていた。子どもの本棚にズラッと並んだ『ガロ』。今から考えると、伯母さんなりの僕への社会教育だったかもしれない。引っ越しを繰り返しているうちに、それらがどこかに行ってしまったのが残念である。
「河原人」は、『吉原御免状』という芝居(劇団☆新感線)で見て、そこから興味は原作の小説へと移っていった。原作者・隆慶一郎の小説を次々と読んでいく中で、かなり重要な役割として幾つかの小説に登場してくるのが河原人。隆慶一郎に描かれた河原人には、素晴らしき職能集団というイメージがある。僕には職人に憧れるところがあるので、それがスポーツの職人=トップアスリートへの興味に繋がっているのかもしれない。
(日々本 第166回 針谷和昌)
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