『3・11から考える「この国のかたち」』(赤坂憲雄/新潮社)
短い「序章」のあと、「新章東北学」と「東北学第二章への道」という2つの章からなる。「新章東北学」は2011年6月~2012年3月までに書かれたこと、「東北学第二章への道」は震災1年を機に書かれたものが中心になっている。著者は民俗学者で学習院大教授、福島県立博物館館長、遠野文化研究センター所長。
序章と新章、「世界中から…尊敬される」に代表される書き方が妙に引っかかる。とくに段落の最後のセンテンスが、いずれもちょっと綺麗におさまり過ぎている気がして、途中で通読を諦めようかと何度か思った。しかし無視できない実行力が著者にあって、参考になる部分がたくさんある。
百万冊の本を集めようと呼びかけました。一カ月もたたずに十万冊ほどが集まりました。(三陸文化復興プロジェクト/p29)
「福島は終わったことにされている」…福島の声、東北の声、日本の声が聞こえてこない、という。(p45)
たんなる防災教育ではなくて、あらゆる災害を死生観や自然観のレヴェルから捉えなおし、その哲学的な土台のうえに、災害とのつき合い方を学びなおすのです。(p81)
福島は忘れられているわけではありません。…それがうまくつながっていない。だからこそ、福島から声を上げる必要があるのです。(p99)
これらの話は(社)本の宇宙のプロジェクトとしてとても刺激を受けるし参考になる。最初の話は「気仙沼の高校生に本を」を客観視できるし、2番目の話はいま計画中の「生と死のシンポジウム」に繋がる。3番目の話は、福島の中学校で展開しようとしているプロジェクトのコンセプトに合致し、4番目の話は「つながる教室」とリンクする。
そうやって読み続けている間に、著者の筆調も変わってくる。震災から時間が経つにつれて、落ち着いてくる感じがある。そして本を通して一貫する著者自身の「福島第一原発から二十キロ圏内が警戒地域に設定される前日、四月二十一日の午後……一気に、二十キロ圏内に入ることにした。この日の深夜零時を境にして、原則として圏内への通行はできなくなる」(p175)などの行動力。
「東北学第二章への道」からは、すんなりと受け入れることができた。本には幾つかのタイプがあって、出だし抜群で後半息切れするもの、徐々に徐々に良くなっていくもの、最初から受け入れられず途中で投げ出してしまうもの…。この本は最初は受け入れるのが難しかったけれど、後半に持ち直して読後感も良く、著者の次の本も読みたいなと思わせられた、珍しい本である。
(日々本 第154回 針谷和昌)
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