『池上彰と考える、仏教って何ですか?』(池上彰/飛鳥新社)
わかりやすそうだと思って買ってみたが、期待に違わず。日本になぜこれだけお寺があるのか?その謎がだいぶ解けたような気がする。鉛筆でラインを引っ張ったところを抜き出してみる。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。
以上の『平家物語』の冒頭に、祇園精舎で弟子たちと過ごしたブッダの教えが込められているという。「諸行無常」という真理がブッダの基本的な教えのひとつで、その意味は「あらゆる物事は同じままでとどまることはない」。
煩悩の姿を見極めたブッダでさえ、油断するとまた、煩悩に絡めとられてしまう人間にとって根源的なもの。
ブッダの教えは向こうからはやって来ず、こちらから求めるもの。
ブッダの時代にはお布施を現金で受け取ることは禁止されていた。
752年に東大寺が建立され、聖武天皇が全国に安定をもたらすために各地に建てるように命じた国分寺の総本山。
文字の形では伝えられない秘密の教えを密教という。
日本では先ず国づくりのために仏教が導入され、国歌の体制の安定や天皇の安寧を祈るという役割が求められた。
鎌倉仏教が革新的だったのは、それまで国家や貴族のものだった仏教を庶民のものにし、葬儀を進んで引き受けるようになったこと。
江戸時代に、幕府は日本のすべての家が、いずれかのお寺に属するよう義務付けた。檀家制度に先立って、仏教界内部でも本寺・末寺制度が確立され、各宗派の本山を頂点とするピラミッド型の組織をつくり、すべての寺院を管理できる仕組みにより、今の日本が都道府県・市町村を通じて国民全員の戸籍や住民登録を管理しているような仕組みを仏教界にやらせた。
そして、日本に仏教が伝わって以来のアウトラインとして、以下の文章がある。ここに記して頭に入れ、忘れてしまっても、何度か読み返したいと思う。
六世紀に伝わった仏教は、まず、日本という国の形をつくる基盤としての役割を与えられました。
飛鳥時代から奈良時代、僧侶は国歌の体制を維持するために、国家公認の資格を持つ官僧として、仏教という学問を学び、加持祈祷を行いました。仏教は国家のための宗教として保護され、栄えました。
平安時代には、遣唐使として唐で最新の仏教を学んだ最澄と空海が帰国しました。政治と密着した官僧によって俗化が進んだ奈良仏教とは一戦を画し、奈良とは離れた地に修行の場を開きました。
最澄が開いた比叡山延暦寺から、法然、親鸞、道元、日蓮などが登場しました。それまで朝廷や貴族を相手にしていた仏教を、天変地異や戦乱の世で救いを求める庶民にまで広めたのが鎌倉仏教です。法然と親鸞は「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽浄土に行けるというシンプルな教えを説き、仏教は一気に広まりました。
これらの鎌倉仏教の僧侶は、きちんと供養してほしいという庶民の願いに応じて葬儀を引き受けるようになりました。日本仏教と葬式の密接な関わりのスタートです。
江戸時代、幕府はキリスト教を禁止するため、日本人全員をどこかの寺に所属させる檀家制度を導入しました。浄土真宗の拡大によって世襲制の寺が増え、お寺と檀家、地域との関係性が固定化されました。僧侶は地域の葬儀・法事を一手に引き受けることを代々の家業とするようになり、葬式仏教が確率しました。
(日々本 第120回 針谷和昌)
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