サッカーレフェリーの第一人者とのコミュニケーションが極端に集中した時期に、書店でこの本が目に入って来た。飛び込んで来たと言ってもいい。
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『サッカー審判員 フェルティヒ氏の嘆き』(トーマス・ブルスィヒ/粂川麻里生 訳/三修社)
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読んでいる間にビーチバレーレフェリーの第一人者ともいろいろ話す機会もあり、“審判員”というものへの理解を深めていた時期だったので、へぇー、こんなことを考えながら笛を吹いているのかなぁ、とか、えーっ、きっとこうは考えないよなぁあの人だったら、なんてあれこれ思いながら通読した。
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読み終わって知ったのだけれど、この著者にとってこの本は2冊目のサッカー独迫劇(モノローグ)で、何と僕はその第1作『ピッチサイドの男』(トーマス・ブルスィヒ/粂川麻里生 訳/三修社)も読んでいて、しかも『サッカー 本の宇宙』にもリスティングしてサムライブルーカフェに並べていたのである。「訳者あとがき」を読むまでまったく気がつかなかった。
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“独白”だからサッカー以外のこともいろいろと出て来て、サッカーの話題よりもそちらの方に引きつけられた気がする。サッカーでは、オフサイドトラップを最初に精密さと狡猾さで群を抜いたレベルでやったのが1980年のベルギー代表チームで、ヨーロッパ選手権に準優勝し、これを機にサッカーでは相手チームがルール違反をするよう挑発することが試みられるようになった、という話が印象深い。
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これは作り話でなく事実だと思うのだが、他のスポーツ、例えば野球で言えば、ランナーがいる時に正面のライナーをわざと落としてダブルプレーを取る、などのプレーが近いかもしれない。本来であれば取ってアウトにすべきところを、もうひとつ余計にアウトを取るためにやるプレー。あるいは、隠し球。どちらも、頭が良いプレーとも、ずる賢いプレーとも言える。
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サッカーであれ野球であれ、その競技性の本質的な部分からすると、これらのプレーは“余分な”もののようにも思える。それを生み出してしまうのが、人間の“性”なのだろうか。かなり深々と考えさせられる話である。この小説、両レフェリーにぜひ読んでほしい。そして感想を聞いてみたい。プレゼントするのが早いかも…。
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(日々本 第100回 針谷和昌)
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