『学ぶとはどういうことか』(佐々木毅/講談社)
著者は元東大総長であり政治思想史の重鎮。その著者が、全編にわたり福沢諭吉を引用している。真っ先に出てくるのが『学問のすゝめ』である。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」
普通はここまでだが、さらに福沢によるその主旨が続く。
「万人は万人皆同じ位にして、生れながらの貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずして各々安楽にこの世を渡らしめ給う」
「学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」
つまり、生れながらには差はなく、学ぶか否かによって差ができる、天は上下をつくらないけれど学びによって上下ができるということである。ここが大事だということにこの本は気づかせてくれるが、こういう文章が続いていることを、僕は知らなかった。さらに福沢は、物事の道理を弁(わきま)えることに学問の目的を求めているとある。
『文明論之概略』では、「智徳」を学ぶのが学問で、「徳」は徳義でモラル、心の行儀であり、「智」は智恵でインテレクト、事物を考え事物を解し事物を合点する働きだという。そして智のうち物の理を究めてこれに応ずる働きを「私智」、人事の軽重大小を分別し、軽小を後にして重大を先にし、その時節と場所とを察するの働きを「公智」としているそうだ。
全体的に書き方はやさしいのだが、書かれていることは難しい。福沢諭吉の両著書を読みながら、同時にこの本を読むと、もっと理解できるのかもしれない。
僕は上記の中に出て来た“軽重”という言葉に、特別な思い入れがある。そのことを少しだけ書いてみたい。
「物事の軽重をわきまえて判断しなさい」
大手商社に勤務して長年、博覧会のパビリオンのリーダーを務めてきた高齢の館長が、約40歳年下の副館長だった僕に、常々語った言葉。つくば博覧会でパビリオンを運営した半年の期間中、館長はたくさんのアドバイスを下さった。僕にとっては恩師の1人だけれど、中でもこの言葉が最も心に残っていて、今でも館長の口調やポーズを含めてこの言葉を思い出す。
「けいちょう?」最初聞いたとき、そう聞き直したぐらい、僕のふだんの生活では聞き慣れない言葉だった。あの頃の僕は目の前に生じる問題をひとつずつ解決していこうと、ただただ夢中でやっていた。あれから27年経って、その言葉の意味するところが、「公智」ということなのだと、今回知ることができた訳だ。
館長が亡くなられてからだいぶ経つが、いま会ったら、少しは君も物事の軽重を理解できてきたね、と言ってくれるだろうか。僕は逆に、館長は『文明論之概略』を読まれていたんですか、と訊いてみたい。
ここまで書いて思い出したが、僕は館長に、主人公ののイメージが館長と重なりました、と本をプレゼントしたことがある。いまでは本をプレゼントすることも結構あるが、当時は僕にとっては珍しいことだった。『流転の海』(宮本輝/新潮社)。いま第6部まで出ているようなので、今度読み通してみようかなと思う。
(日々本 第92回 針谷和昌)
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