日々本 其の五十六「欲」

『欲ばらないこと』(アルボムッレ・スマナサーラ/サンガ新書)


対象・刺激に依存して生まれる心、その心が消えた状態を、仏教は究極的に目指している。

欠かせないもの・必要なものと欲しいものとを区別することが欲から解放される方法。

必要なものはそろう、欲しいものは思うようにそろわない。

「私の」、このひとつの言葉で、ものすごい苦しみが生まれる。

欲は妄想。

「少欲知足」。

知足とは、足りていると知ること、不満を感じることに気をつけろということ。

ニーズを少なくすること、不満を持たないこと。

欲にはリミットがない。

心と身体、より主導権があるのは心のほう。

欲に対する最強の対策は「あげること・施し」。

人の役に立ちたいと思って妄想ばかりするのはだめ、この程度ならできるからやりますと手近なところから始めれば心が明るくなる。

心に必要なのは良くではなく、喜びと充足感。

喜びを感じるためにいちばん良い方法は集中力を育てること。

とくに印象的な部分をピックアップしてみた。印象的な中でも印象的なのが「必要なものはそろう」という部分。(社)本の宇宙 をスタートして、運転資金などを稼がなければいけないといろいろとトライした。しかしながら、やろうとすればする程からまわりしている感じ。

ある時から、先ずやりたいことをやってみよう、お金がなけくても何とかなるだろう、と発想を改めた。そうしたら、不思議と必要な資金が集まるようになった。だからこれは最近の実感。逆に言えば、運転資金は欲しいものだったんだということ。

それから「この程度ならできるからやります」という部分。まさに「これならできるからやります」と思い、やり始めた被災地支援。その中でも現地での「教室開催」は思いついてから実施するまでに10ヶ月もかかった。だから実施できたあと、ホッとしたというか本当に気持ちが明るくなった。「集中力」の下りも、自分の考え方に確信を与えてくれた。そして、欲の対策「あげること」。もらうことが多かったけれど、これからは「あげる」ことを多くしていきたいなと思ったりしている。

ひとつ気になったのは、欲の話の例で出て来たのだけれど、「日本は大量に魚を獲っていますが、食べずにほとんど捨てています」という一文。これは本当だろうか?いや本当だろうけれども、実体はどうなっているのだろうか?気になるので、ちょっと調べてみようと思う。

日々本 第56回 針谷和昌)

hariya  2012年4月19日|ブログ