表紙が相当恐い。これは誰だ?著者で元プロ野球選手の愛甲意外の何者でもない筈だけれど、高校球児だった頃の顔が愛甲のイメージである僕にとっては、その変わりっぷりが馴染めず、表紙で吠えているかの如き別人のような顔が恐い。
普通はこの表紙だったら買わないのだけれど、プロ野球の裏側をわかっておいた方がいいと思い、表紙は恐いけれどもこの本を読んでみようという気になった。ところが読んでみると、クスッと笑えるところも多く、ちっとも恐くない。かえって一般社会の方が恐いんじゃないかと思えてくる。
急遽投手を交代させたけれど準備不足に気がついた監督が審判に相談すると、1球ボールを投げさせそれにクレームをつけている間の5分間に肩ができるでしょう、とアドバイスした“名審判”の話がとくに印象的だった。野球のおおらかさが微笑ましい。プロ野球の審判も本物のプロだから、こういうことができるんだなぁと思う。
審判はどのスポーツでも難しい役割で、良い審判というのは数少ない。有利な判定をされたチームから見ると良い審判であることは間違いないが、そういう審判は相手にも有利な判定をすることが多く、一瞬にして悪い審判になる。どちらのチームからも、良い審判と言われる審判こそ名審判なのだが、なかなかお目にかかれない。
どの競技とは言わないが、弱い方に有利にあるいは負けている方に有利に判定する審判もいる。そうすると試合は必ず接戦になる。度が過ぎると番狂わせが起こることもある。いわゆる試合を作ってしまう審判。こういう審判は、誰のためにジャッジしているんだろう?
一方で、サッカーで選手から尊敬されている的確で公平な審判は、試合中に選手から「マイレフリー」と呼ばれることがあるそうだ。上記の野球の審判も「マイ審判」と言えるケースだと思う。
試合や物語など作らずにシンプルにやるべきことをやる審判。選手が余計なことを考えずにプレーに専念できる環境をつくる審判。それが結局見ている人にいちばん面白い試合を提供できる審判だと思う。話が審判に収斂してしまったが、審判はスポーツの幸せの重要な部分を担っていると思う。審判への期待に比べて、審判の役割は遥かに重い。そこが大変なところである。
(日々本 第14回 針谷和昌)
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